プロフィール

 

「英語がしゃべれたらなぁ〜」

 

こんなため息、ついたことありませんか?

私も10数年ほど前までは、そんなひとりでした。

 

そんな私が何を思ったのか、
単身でニュージーランドに渡ったのです!!

 

たいして英語もしゃべれない状態だったので、
とんでもなく大変な思いをしてきました。

 

英会話にまつわる失敗も星の数ほど...(汗)

 

でも今思えば、あの時の勇気がなければ、
海外生活を満喫している『今の自分』は存在しないんですよね。

 

行き当たりばったりで海外暮らしを始めた私ですが、

今では現地で就職し、永住権も取得して、
異国で出会ったパートナーと一緒に海外生活を満喫しています。

 

日本ではなかなかお目にかかれない、
壮大な山々や美しいビーチ。

 

国土の3分の1以上が自然保護区として守られているので、

自然好きにはまさに天国です!

 

 

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食べ物も美味しくてボリューム満点なので、
お腹も心も、メチャクチャ満たされます♫。

 

個人的にイチオシなのが『クレイフィッシュ』。

肉厚で甘みがあって、
プリッと身が引き締まっているので、
エビ好きの私にはたまりません(笑)。

 

 

 

また、ニュージーランドと言えば、
世界屈指の🏉ラグビー大国。

 

都会はもちろん、
小さな町や田舎の牧草地でも、
「ラグビーのゴールポストがない風景はない!」
と言っても過言ではありません!

 

私もよくスタジアムに見に行きますが、
地響きするくらいの熱狂的なファンの応援には、いつも驚かされます。

 

 

 

こんな風に、

私が海外暮らしを満喫出来ているは、
泣き笑いしながら、
必死で身に着けた『英会話』のおかげなんですよね。

 

ただし...!

 

ここまでの道のりは、
決して平坦ではありませんでした。

 

と言うよりも、
それはそれは苦労の連続だったのです...(涙)

 

海外生活に興味を持ったきっかけは、初恋の相手だった

 

お恥ずかしながら、

私にも20歳成人を前にして、
人並みに好きな人が現れました♡。

 

サークルを通して仲の良かった、
他大学の先輩です。

3つ年上で、
サークルの主将を務める頼もしい人で、
すべてにおいて積極的!

 

ただ、

うれしい反面、ウブだった私は、
「まだ親に紹介するには早すぎるでしょ...」

と、彼の存在を親に知られまいと必死になっていました。

 

隠れてのお付き合いは、
良い感じで進んでいましたが、

困ったのは自宅への電話。

 

ある日、
父が出てしまって気まずい雰囲気になってからは、

事前に電話がかかってくる時間を想定し、
子機を自分の部屋に持ち込んでヒソヒソと...

 

当時、
ケータイ電話はまだ高根の花でしたから(悲)。

 

今思い出すと、バレバレでしたね(笑)。

 

そんな彼から、

「学生最後の夏休み中、
オーストラリアにワーホリに行く」

と打ち明けられました。

 

そして、
いっしょに来てほしいと...

 

行きたかった...
デモどうしても行くことが出来なかった😢。

 

じつは父親が当時、
まだ治療法が確立されていない病と闘っていたんです。

 

そんな父親のそばを離れたくなかった、
という気持ちはもちろん、

ここまで育ててくれた親を
『未成年の娘が婚前旅行!』なんて形では、
どうしても裏切れなかったんですね。

 

そりゃ、
2ヶ月も彼氏と会えなくなるというのに、

ワーホリ行きを断ってしまうのは、
キツかったですよ。

 

 

結局、

積極的すぎた彼と消極的すぎた私は、
彼の就職・長期地方研修を境に自然消滅。

 

ケンカ別れした訳でも何でもなかったせいもあって、

忘れられないまま、
何年も気持ちを引きずっていました。

 

でも、
人生って後戻り出来ないことの方が多いんですよね...

 

後で友人を通して知ったのですが、

彼は企業の海外駐在員として働いたりした後、
アメリカに渡り現地就職。

 

そんな話を伝え聞いた時が、私が
海外生活に憧れを抱いた瞬間
でした。

 

仕事と家事に追われまくる毎日...

 

父が病に倒れて以来、

仕事一筋だった母親と残りの家族の家事を私が一気に引き受け、
父親の看病のため毎日の病院通い。

 

ところが、
病と闘っていた父親が私の卒業を待っていたかのように、

数か月後には他界。

 

きつい時期でした。

もっと長生きしてほしかった...

 

父の死を経験し、残された家族はその後、
それぞれポッカリと心に穴が開いた状態に。

 

それでも、

悲しいはずなのにお互い平静を装い、
本音を隠して暮らしていました。

 

 

私はほどなくして、
正社員フルタイムの仕事を勝ち取り、

新卒4月スタートが出来なかった遅れを
取り戻すかのごとく、必死で働きました。

 

その甲斐もあって、
上司や同僚後輩からの信頼を得て、
重要な仕事を任されるように。

 

 

ところが、私がオフや休暇の日になると、
私の仕事をしてくれる人がいない職場でした...

 

上司には感謝されても、
私の代わりを育てる気はなく、
気づいた頃には残業時間がうなぎ登りに増え続けていく有様。

 

基本給と残業代が肩を並べ、
20代にしてけっこうな高給取りになっていました。

 

そして、
週の半分以上は終電を逃してタクシー帰り。

いつも真夜中の都心を、
タクシーの車窓から見つめていました。

 

それでもって翌朝は、7時過ぎには家を出て、
片道1時間以上の通勤の繰り返し...

 

家で過ごせる時間が6〜7時間ぐらいしか無い
異常な状態の上、

土曜出勤も時々あり、
その代休が平日にやって来ても1日休みのみ。

 

家事もしないといけないのに、
ほとんど家で過ごせないという、

仕事中毒生活が続いていました。

 

「私、何やってんだろ...」

 

「そんなにお給料いらないから休ませて~」

 

と心で悲鳴を上げていました。

 

当時の月残業時間は、すでに100時間越え。

今の時代ならば、
自殺の危険レベルと言われる域...

 

2日続きの休みも3ヶ月近く取れなくなり、
からだの疲れが取れず、

「このまま30代になったら人生絶対後悔する!」
と、退職を決意。

 

 

その後半年、人生の洗濯をすべく
失業手当を満額頂きながら、
明るい時間に家に居られる幸せを感じました。

 

そして、
使う暇のないまま預金口座に溜まっていた貯金で、

母を初めて海外旅行に連れて行ってあげたり...

 

その間、
今後の人生についてた~くさん考えましたね。

 

決断した答えは海外移住

 

その頃、

沸々と心の中で湧き上がってきたのは
海外生活への憧れでした。

 

父親を亡くしてからというもの、どうも日本に居ても親戚やご近所、
友達の家族が仲良く暮らしている光景を目の当たりにすると辛かったんですよ。

 

周りの家族は、まだ両親そろっていて幸せそうで...

 

無いものねだりしても仕方がないことは
頭でわかっていても、やっぱり辛い...

 

友達の結婚式なんかに呼ばれたりすると、
もうやり切れませんでした。

 

そんな私は、誰も知らない国で一から人生やり直したくなったんです。

 

そこからというもの、
「海外で生きていくためには、
とにかく英語を身につけなければ」

と、もう忘れてしまっていた英語の勉強をやり直し始めました。

 

最初に手に取ったのは、NHKの英会話テキスト。

欲張って、テレビとラジオの両方買ってのスタートでした。

 

取っ掛かりとしての感触は、悪くなかったですよ。

 

ただ、どうも進展が遅い上に、
予約録画・録音しておかないと、
外出しても帰宅時間が気になってしまい...

 

ゆっくり外出が出来ない生活に、
だんだんモチベーションが下がって行きました。

 

 

そして意を決したのが、海外の語学学校行きです。

 

海外移住の取っ掛かりとして、学生ビザも
取得出来る現地学校への入学手続きを済ませ、
日本を後にしました。

 

ところが、
憧れていた海外暮らしの喜びも束の間...

 

現地学校の一般英語コースのクラス分けテストでは、

やはり英語がしゃべれない事がたたり、
下から2番目のコースに入れられました(凹)。

 

インドや南米スペイン語圏からのクラスメートが多い学校だったのですが、

彼らの英語は母国語訛りの独特のアクセントがあって聞き取りづらく、
ペアワークなんかで一緒に組んだりするともう大変!

 

当時、
日本でも認識されつつあるIELTS(アイエルツ)のテスト勉強もしていましたが、

スピーキングテストで彼らとペアを組まされないよう、
よく祈っていました(笑)。

 

ただ、彼らの発音はともかく、
みんな実に自信有りげに英語を話しているんですよね〜。

 

だから、しばらくはたじろいでいた私も、
次第に負けじと発言するようになって行きました。

 

 

一方、私の引っ込み思案はスピーキングだけに留まらず、

時間制限のあるライティングでも困らせてくれました...

 

とにかくビビってしまって、いつも時間切れ。

そのため採点結果は散々でした😢。

 

先生にも、
「何でお前はそんなにビビッちゃうんだい?」

なんて言われ...

 

ホームワークで書いてくる文章と、
試験の時間制限内で書く英作文のギャップが大き過ぎたんですね。

 

これを克服するために先生のススメもあって、
私は毎日英語で日記を書き始め、
モノすごい数の英作文練習をしてきました。

 

内容はともかく、
自分の思いを英語で伝えるということを、
体に覚えさせていったワケです。

 

その時の勉強が、現地での就職活動に役立った

 

その時の努力は、
後の就職活動の履歴書やカバーレター書きに、
ホント役立ちましたね。

 

私が今暮らしているニュージーランドは
移民がとても多い国なので、

英語が母国語という人は意外と少なくて、
逆に気が楽になることもあるんですよ。

 

その理由は、
第二・第三外国語として英語を
使っている人同士の方が、
お互いの言いたい事を
察知する力がはるかに上だから

なんです。

 

英語ネーティブの人はすぐに
”I don’t understand you.”

なんて言ってきますが😆。

 

「あなた、理解しようとして
聞いていないでしょ!?」
っていうネーティブの人、けっこう多いんですよ~

 

 

人種のるつぼニュージーランドでは、
職場の同僚も世界中から集まっていますが、

「大抵の外国人は、英語は結構しゃべれても
読み書きはチョー苦手。」

 

職場でEメールを書かせても、
かなり滅茶苦茶な文章で、
その点は日本人の方が絶対マシだと断言出来ます!

 

彼らは、
母国の学校教育で英文法をほとんど学んで来ていないので、

仕方ないんです。

 

一方、
私を含む日本人はその逆。

 

でも、こうしてその問題点を克服して、
晴れて海外暮らしを満喫している私がここにいるので、

大丈夫ですよ♪。

 

理不尽なことをされて、英語力が磨かれていった!

 

海外暮らしでツキモノなのが、
差別・反感・いじめ。

 

じつは私、
海外で初めて就職した先で、

勤務開始10日足らずでオーナーさんから
感染症をうつされてしまったんです...

 

病名は伏せますが、小さなお店だったので、
オーナーさんは感染を分かっていながら働いていたんです!

 

そこに入ってしまった私は、
となりでいろいろと説明しながら仕事の手順を教えてくれる、
オーナーさんのつばをわんさか浴びていたようで...

 

オーナーさんからはつらい症状を聞かされていたので、

わが身に同じ症状が現れ出した時はマジ焦りましたよ(+_+)。

 

もちろん電話を入れて事情を説明し、
最初は逆に謝られてしまいました。

 

ところが、その後かかってきた電話で
「他のスタッフに感染が広がるとマズいから...」

と、私は1ヶ月近くもシフトを外されて、
何の給与補償も無し。

 

晴れて出勤すると、
休まされていた間に急きょ雇った新人にシフトを取られ、

私の勤務時間は当初よりも減らされ...

 

「そんなのおかしいでしょ?? 」

 

「もとは、感染症を分かっていて出勤した
オーナーに原因
あるんだから」

と、私は腹の虫がおさまりませんでした。

 

普段は穏やかな人、良い人でも、
人間許せないことってありますよね!?

 

私もまさにそんな心境でした。

 

そこで調べまくり、政府の相談窓口にも足を運びました。

もちろん全部英語でのやり取りですよ!

 

大変でしたが、
やれること全部やってスッキリしました。

 

私の場合、守ってくれる家族もいなかったので、

差別やいじめにあった当時は本当にキツく、
とことん凹みました。

 

でも今振り返ると、あのキツかった時の経験が、

私の語学力を大きく成長させてくれたんだと感じています。

 

どんなに凹んでいても、ひとりだと頼れるのは、

まさに自分だけなんですよね。

 

そこで何とか自分の正義を守るために、
いろいろな人に相談したり調べたりする過程で、

より高度な英語表現だったり、
ガツンと言わせる英会話を
知らずに身に着けていたりするものなんですね。

 

 

ただ、その後もトイレにも自由に行けない軍隊のような職場で、

他にも理不尽なことをいっぱいされ...

 

そんな中、たまっていた有休を使って
日本に1ヶ月一時帰国したいと希望を出したら、

無下に却下されたので、
それを機にあっさり辞表を出しました!

 

まあ、オーナーさんには嫌なことを沢山されましたが、

そのおかげで、私の英語力は飛躍的に上がったことは事実です。

 

本命の職場に就職

 

それからまた就職面接を受け続けて、
苦戦しながらも、とうとう本命と言える
公務員の職に就きました。

 

書類選考で落ちた数も含めると、
90社以上は受けましたね。

 

2年もの月日を、
本命の就職活動に充てたことになります。

 

実はこの間、母も他界してしまい、
孤独の真っ只中で開けた人生の転機でした🎉。

 

 

でも、そこに待ち受けていたのは...

 

畑違いの分野からコネで入ってきたばかりの
ダメ上司でした (≧∇≦)。

 

チームリーダーなのに、
自分のやっている仕事を全く持って知らない、
やったことがないと言う、

史上まれにみる??給料泥棒でした!

 

基本、メチャクチャ忙しい職場だったので、
新人でも勤務時間外に必死で時間を見つけて取得を目指す、
初級資格の勉強があるんですよ。

 

ところがその上司ときたら、
自分の事務所で悠々とコーヒー片手にやっているのを、
部下みんなが窓越しに目撃する光景。

 

初級資格も持っていない上司でしたから...

 

おまけにその職場は、
組織で一番病欠が多い部署だったんです!

 

30人ぐらいのチームなのですが、
ほぼ毎日、誰かが有休病欠で、5人、6人も当たり前。

 

ヒドい時には、10人以上が
病欠や子供を理由にしたドメスティック・リーブ
(自分の有休病欠を家族の病気時などに使えるもの)。

 

公務員特権なんだか、有休病欠がほぼ無制限に
与えられてしまうシステムにも問題ありですよね。

 

 

そんなモラルのない職場では、人手不足が蔓延化していました。

 

新人の私は、やっと掴んだやりたい仕事だったので、
ヒトの2倍働く勢いで頑張っていました。

 

そんなある夜、私は午後出勤だったのですが、
既に3人が病休連絡済み。

 

もうひとりも、おなかの調子が悪いと遅刻してきました。

 

クリスマスも終わり、新年に向けてのホリデー時期だったので、
そりゃ家族と過ごしたい勤め人は多いですからね~

 

従って、その日も人手不足が明らかで、
私はまだ半年ほどの経験をフル活用し、
ありとあらゆる業務をこなしていました。

 

一方、
先輩同僚2人は長~い休憩を取って姿をくらましたり...
と、やりたい放題。

 

その夜、あと1時間で勤務終了という時に、
あることが起こってしまいました。

 

.........

 

ツルツルの職場の床は、以前から危ないと評判だったのですが、
そこで突然足を取られ、体が宙に浮いたあと、
顔面から着地してしまったのです。

 

先ほどの先輩同僚2人が、
座ってず~っとおしゃべりしながら
作業しているテーブルの後ろを歩いていた時でした。

 

意識こそ失いませんでしたが、
頬と口元を強打し、しばらく動けませんでした。

 

 

脳震盪を起こしてしまっていたのです。

 

頭を強打している上、ひとり暮らしだったので、
夜間の急変が心配のため自分で救急病院に行きました。

 

もう日付も変わってしまい、
真夜中にようやくベッドに寝かされ、朝まで入院。

 

でもCTはおろか、レントゲン検査さえありませんでした。

 

1週間はテレビもケータイも本も禁止となり、
とにかく脳を休めましょうとだけ...

 

こんな適当過ぎる対応は、日本では考えられませんよね(笑)。

 

長く辛いリハビリ生活の始まり

 

その後のGP(ホームドクター)のフォローアップ受診では、
ふらつきと視界の異常を訴えたため、
3週間ほど労災扱いで職場を休みました。

 

でも、一向に症状が消えないため、
現地の理学療法士のお世話になり始めました。

 

それでも、なかなか症状は改善しませんでした。

 

外見は包帯を巻いているわけでもなく普通だったこともあり、
ダメ上司からは復帰を焦らされるように。

 

疲れたり夜間に症状が悪化することが分かってきて、
午後遅くの勤務免除を医師の診断書を添えて伝えましたが、
何度も無視されてシフトを強要...

 

もう、毎日が体の不調でキツくてキツくて、
食欲も無くなり...

 

この段階でも、画像検査・精密検査など一切行われず。

 

そしてとうとう覚悟を決め、
有休を使って日本の医療に救いを求めることに。

 

ところが、ダメ上司は私の有休を却下。

 

そこで同情してくれた同僚の好意で、
彼の有休枠を急きょ譲ってもらって再度、有休申請。

 

今度は承認されました、理由も理由ですからね。

 

全部自費でしたが、無事日本に戻って、
きちんとした医療診断を受けてきました。

 

バランスの中枢である、内耳の三半規管に損傷が見つかりました。

どおりで、めまいが消えないわけだわ...と。

 

日本の医師から
「眼振が出ています」と言われ、
「現地では散々ないと言われてきましたけど...」
と言い返す光景(笑)。

 

ビデオで見せられ納得する私。

 

腹立たしいも、晴れ晴れしい気持ちで
再度ニュージーランドに戻り、
日本の大学病院の診断書を医療翻訳してもらって職場に提出。

 

そこからは笑いが出そうな勢いで
聴覚検査やらMRIやら脳神経科専門医受診やら、
私がリクエストしても医師が否定し続けていた医療が、
次々と無料で提供され始めました。

 

「全部日本で受けてきましたけど...」

と言いながらも、再度やらされました。

 

ダメ上司は、そこでも根掘り葉掘り
医師とのやり取りまで報告させてきて、
受診の為の有休を無休に差し替えて給料を減額してみたりと、
いろいろと嫌がらせをされました。

 

私も毅然とした態度で対抗しましたが、
ダメ上司の嫌がらせはどんどんエスカレートしていく一方でした。

 

理不尽な仕打ちがいつまでも続いたので、
最後は生まれて初めて、
現地の弁護士さんに相談して解決しました!

 

当時のお給料1ヶ月分ぐらいかかりましたが、
人事部とのミーティングに同席してもらい、
職場の事故後の対応の不備を多数指摘してもらえました。

 

その後は、勤務もはるかにしやすくなり、
驚くことにダメ上司も、
その後2ヶ月足らずで辞めていきました!

 

他の同僚たちも、ダメ上司にはウンザリしていたので、
職場に平和な日々を取り戻すことが出来ました。

 

人生、お金が全てではないけれども、
お金で解決出来ることはした方が良い時もあるんですね。

 

そして、またしてもダメ上司のおかげで、
英会話力を磨かせてもらいました!(笑)

 

健康を取り戻して、海外生活を満喫

 

幸い今では、
当時悩まされていた症状もほぼ消え、
以前の生活に戻れています。

 

こんな体験、誰にもして欲しいとは思いませんが、

良くも悪くも、『試練』が
私の英会話を伸ばしてくれた一因です!

 

ここまで、
長々と自己紹介させて頂きましたが、
こんな私が歩んできた海外生活。

 

元気になって、
それまで以上に海外生活を満喫出来ている今、
英会話の壁はほぼ感じなくなりました。

 

自力で外国で生きて行くには、
現地の言葉を操れることが成功のカギなんだな~

と思うことが良くあります。

 

こんな成功経験をひとり占めにするのは簡単ですが、

ふと思ったんです。

 

「それだけでいいのかな??」と...

 

そんな時、パートナーの一言が。

 

「今度は英会話に悩んでいる
ヒトを助けてあげたらいいのに。」

 

「...そうだよね。」

 

そんな気持ちで、このサイトを立ち上げました。

 

ここまで長~い文章を読んで下さっているあなたが今、
どんな状況にいてどんな目的でここにたどり着いたのか、
私には分かりません。

 

でも、きっと何か通じるものや感じるものがあって、
ここまでお付き合い下さっているのでは?

 

このブログでは、
英会話をマスターするためのお役立ち情報はもちろん、
Playaが海外生活で直面してきた数々のエピソードを交え、
キレイごとだけではない本音トークもガンガン発信していきます!

 

すでに海外に出ていて、
日々英語と格闘している人
はもちろん、

国際化が益々進む日本国内で
英会話を何とかモノにしたい人
にも、

きっとお役に立てると思います。

 

どうぞ、あちらこちら覗いて見て下さいね。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

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